由緒

 五島家の始祖()()(いえ(もり)が京都より宇久島へ来島の折、守護神として山崎の八幡宮を奉迎して宇久島の神崎に一社を建立し氏神とした。
 第十代宇久(もとむ)は文安四年(1447)宇久島の飯良八幡宮を現在地に奉遷、正八幡宮と奉称し五島の総鎮守と定め、天下泰平・武運長久・領内安穏を祈願した。
 第二十六代五島(もり)(よし)は元禄五年(1692)二月より宝殿の建立と拝殿の修理をし、同六年(1693)八月十三日成就し遷宮をした。宝暦五年(1755)の社領は三十三石二斗。
 以来五島家の尊崇篤く、明治の版籍奉還・廃藩置県にいたるまで藩中第一の総社として崇敬された。
 その後は、明治四年(1871)郷社に列せられる。
明治四十年(1907)神饌幣帛供進神社に指定。
昭和十六年(1941)県社に昇格、神饌幣帛供進神社に指定。

御祭神

応神天皇(おうじんてんのう)誉田別尊(ほんだわけのみこと)

神功(じんぐう)皇后(こうごう)気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

()()大神(おおかみ)()(ごり)(ひめの)(みこと)(たぎ)()(ひめの)(みこと)市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

鎮座地